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2006.01.18

11年目の1.17

またこの日が巡ってきました。

1月17日

1995年のこの日、あの、阪神・淡路大震災が起こりました。

今年も各地で、記念・追悼行事が行われたようですね。

大変な被害に遭われた方々が大勢いらっしゃるのに、

たいした被害に遭わなかった私なんかが、何か言うのには少し抵抗がありますが、

やはり何らかの記録を残しておこうと思います。
(最終更新:07.01.17)




あの時は自宅2階で寝ていました。

ふと目が覚めて、遠くの方で「ゴォー」という音がするのに気がつきました。

「トラックでも通っているんだろう」と思っていると、

その音は次第に大きく、近づいて来るのがわかりました。

単一の音源が近づいてくるのではなく、何か帯状の音源が近づいてくるように感じました。
(この時点では、何が起こっているのか、わかりませんでした。)

そしてその音がやってきたときに、家がガタガタッと何度か揺れました。
(この時点で縦ゆれのP波が到達か。)

地震ということはすぐにわかりましたが、すぐ後に来る横ゆれのS波でその大きさを判断すべく、布団の中で息を潜めていました。

そこへ想像を超える強烈な揺れが!

「これは大きい!」と感じ、即「出口を確保しなくては」と思い、飛び起きました。
(このときに左肩を痛めてしまいました。)

布団のすぐ横の窓と部屋の出口の扉を開け、部屋を出て階段の踊り場に出ました。
(階段部分は柱が多く、比較的強いと思ったため。)

階段の下には、やはり部屋から飛び出した父がこちらを見上げていました。
(父母は1階に寝ていた。)

父は「降りてこい」と言いましたが、とても降りられるような状況ではありませんでした。

階段を降りられないほどの揺れがしばらく続き、やがておさまりました。

ようやく1階に降りて、電気や水道が使えることを確認し、テレビをつけました。

ニュースが地震を伝え始めました。

大きな地震だったが、それほどの被害は出ていない模様

最初はそんな感じだったと記憶しています。
(東京発のニュース番組でした。)

少しほっとしましたが、後にそれは

単に被害の情報が伝わっていなかったから

だったことがわかることになります。
(このときこのニュースをすなおに信じてしまった自分が悔しい!なぜ「おかしい」ことに気がつかなかったのか...)

交通機関の状況が伝えられ、

・京阪は動き出したが、大阪市営地下鉄は止まっている

ことがわかり、会社に行けないので、そのまま自宅でニュースを見続けました。

そして次第に、被害の甚大さが、画面に映し出されていきました。
(火災の様子や、高速道路の倒壊など...)





確か昼ごろに、テロップで「地下鉄御堂筋線が試運転開始」の情報が。

それならば今から自宅を出れば、駅に着く頃には運転を再開しているのでは?と思い、出発。

しかしその期待は裏切られ、運行は再開されていませんでした。

地下鉄淀屋橋駅には、私と同じように「試運転開始」のニュースを聞きつけたサラリーマン風の人が何人も、駅員を取り囲んで文句を言っていました。

その駅員の説明によると、

・トンネルの一部が浸水しており、試運転してみたがダメだった
・復旧の予定はわからない

ということで、この日の出社はあきらめました。

そのまま自宅へと引き返し、会社に行くことができたのは翌日になってからでした。

※後から聞いた話によると、他の交通機関を使って出社してきた人が何人もいたそうです。

駅から30分ほど歩かないといけないので私はその方法を取らなかったのですが、

「なんで来なかったのか!」と社長に怒られました。



自宅がある枚方市の震度は、「震度5」だっと記憶しています。

自宅の被害は、

・屋根瓦が何枚かずれた
・外壁・内壁の何カ所かにひびが入った
・私の隣の部屋で寝ていた弟の枕元に、人形ケースが落ちた

ぐらいですみました。
(その後屋根や外壁を修理し、やっと昨年秋に耐震工事完了。)

人的被害は、私が左肩を痛めただけ。

しかし精神的ダメージは結構あったようで、その後何年もの間、

小さくても地震があったり、夜遠くで「ゴー」という音(トラックでも)が聞こえると、

ビクッとして飛び起きたことが何度もありました。


今日も、「震災前の状況に似てきている」という報道がありました。
(プレート終端部の微小地震の数が減ってきているらしい。)

地震に遭わないにこしたとこはありませんが、

あのような被害は、もう出して欲しくありません。

結論:個人ではどうしようもない事態を助けてくれるのが、国の本来の役割だったのではないのか?

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コメント

「いつか来る」と思っていたものが現実に起こったショックは相当なものでした。
僕も揺れた瞬間は「東海地震か」と思っていたのが、すぐに震源地が淡路島北部とわかり、その一方で最も近い神戸の震度情報が出ていないことに異常さを覚え、悪い予感が的中したことに戦慄を覚えました。
忘れられない、忘れてはいけない記憶のひとつです。

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